AH!広島ショップ
スポンサーサイト
--年 --月 --日 (--) --:-- | 編集
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
オーディオ装置は楽器である
2007年 07月 12日 (木) 10:30 | 編集
オーディオ装置は楽器である

オーディオは所詮擬似音、だからこそ大切なものがあると考える。オーディオを楽しく、素晴らしく聴くためにいろいろな方向から突き詰めていたら、ふと自分の中で思ったことがある。
楽器をスピーカーがわりにして音を楽しんでいるオーディオ評論家がいた。演奏家たちは、自分の楽器にオーディオ装置で音を聴かせると楽器の音が変化する、と言っていた。それならばオーディオ装置を楽器とみてはどうだろうか。そうすると調律が大切であるのが明確となる。

オーディオの個性、特徴。アンプ、プレイヤー、ケーブル類の組み合わせ。それらをひとつの楽器としてその鳴り方を考える。擬似音とか、にせものという話ではなくなる。演奏会場で聴くリアルな音を求めるという話でもない。それがオーディオのある意味での楽しみ方ではないか。そこには高域がどう低域がどうのと言った話でなく、どう音楽を聴きたいか、どう音楽を鳴らしたいか、自分が演奏家としてその楽器(オーディオ)をどう演奏するか、そうしたことに楽しみを見出すことができるのもオーディオである。
オーディオ装置を聴いて「いい音だ」とするのではなく、自分の聴きたいソフトを聴いて「いい曲だ」とする。その装置から出る音を判断するのは音でなく曲。判断の視点を変える。一音一音を聴きわけるのではなく、曲全体のバランスを聴く。それがオーディオを楽器と捉え、オーディオを調律するスタンスである。

 音楽を聴くというより、音を聴くというマニアはメーカーも含めあまりに多い。それを象徴するのがスーパーツィーターやスーパーウーハーの存在だ。音の明瞭度を上げるため一音一音を固めている。足りない音をそれらで補うことや、にじみをとるため高域特性を上げることが、いい音になるかというと、決してそうではない。音量を下げると音はやせるということは、あまりにも中域をないがしろにしているからだ。 
数値の話を好む人がいる。周波数特性、歪率特性などなど。それらは時としてその装置を表す誰に対しても明確な指標であることは私も否定はしない。しかしあまりに数値にとらわれすぎて全体がないがしろになっていないだろうか。音のよしあしの判断を数値に頼ると見えなくなるものがたくさん出てくる。
数値の話をする人、高域低域の話をする人というのは、得てして長い時間音楽を聴こうとしない。一曲を全部聴かずその一部を聴いてその装置を判断する。それはとても音楽を楽しむという姿勢ではない。だが、これは私もよく家人に指摘され、反省するところではある。

装置をどういう音で鳴らしたいか。聴きたいソフトの演奏者の音をどう表現したいか。音のいい録音ソフトをかけることもひとつの手だが、録音は悪いが名演奏といわれるソフトをストレスなく聴けるように調律することは、装置の所有者の耳だめし、腕だめしともいえる。

楽器の調律は高低域を強調することではない。バランスのとれたきれいな音色を出すことだ。いい楽器はしっかりした強い音も出るが、ストレスのない、きれいな響きが出る。それをオーディオにも求めたい。
スポンサーサイト
copyright (C) AH!広島ショップ all rights reserved.
designed by polepole...

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。